昨日書いたように、面接に行ってきた。
結果は明日連絡があるようだが、たぶんダメだろう。
こちらとしても、難しいと思う。

やはり老舗らしく、職人の世界・・・
長時間労働で、長期間いなければなかなか技術の継承
とはいかないようで。
それは至極当然のことであり、ごもっともであろう。
行く前からそうだろうとは思っていたけど、でも実際には
どうなのかは求人票には書いていないので、ならば
行って話をすれば、感じとしてはつかめるわけで。
だから応募はしたものの、可能性は低いと見ていた。
ならば応募しなけりゃいいのだが、でも自分ひとりで
悩んでるだけじゃスッキリしないけど、実際に聞けば
結果がどうであれ納得はできるので。

職人になろうと思えば、それぐらいの意気込みが無ければ
一人前にはなれない世界。
その覚悟のできない自分は甘いと思うけれど。
だけど気持ちだけで肉体がついていかなければ、結局は
同じこと。
残念ながら、それでもやっていけるという自信は無い。
もう10歳若ければ、また違うかもしれないが・・・

うどん屋になろうと思うと、どうしても夢見がちだが、
そこは現実に立ち返って何が重要なのかを本当に
見極める必要がある。
なぜうどん屋になりたいか。
それは自分の好きなうどんで、生計を成り立たせるため。
そのためには何が大事か?
それは、「持続可能である」ということ。

どうしてもいろいろと突き詰めてこだわりたくなるが、
でもそれは継続可能でなければ意味が無い。
だって継続できなければ、生業として成立しないのだから。
じゃあどうすれば持続可能か?
それは早い話が、「楽をできる部分は楽をする」べきなのだ。

どうしてもこだわりを優先した場合、一切楽をせず手間を
掛ければ掛けるほど、思い通りのものができるだろう。
が、それがお客さんに受け入れられなければただの
独りよがりなだけだし、客が来ない以上商売としては
成り立たない、つまり継続できない。
仮に客に受け入れられたとしても、自分自身の体とか
人間関係を犠牲にすれば、結局商売は続けられない。

機械に頼ることなく、手打ちの技術を伝承すれば、自分自身
が職人としての矜持を持つことができるだろうし、できることなら
そうなりたいと思う。
だけど職人になるということは商売の手段の一つであって、
そこを終着点にしてはならない。
返す返すも、生業として継続できることが最終的な目的地
なのだから。
やはり技術にこだわればこだわるほど、それは肉体的にも
きつい仕事となるし、そうでなくてもうどん屋の経営は厳しい。
肉体的にきついと、どうしてもくじけてしまいそうになるし、
それにそれが人あたりに出て人間関係を壊してしまう場合も。
人は離れる、でも経営は思わしくない借金を抱えるでは、
とてもじゃないが継続できない。
オーバーな話のようだが、でも実際にそういう事情で店をたたむ
なんてケースもないわけではない。

極端な話、冷凍うどんと粉末スープを仕入れてきて、それで
おいしいうどんが作れて客もつくなら、商売としては成り立つ。
まあ自分がそこまで極端なことはしたくないし、自分のこだわり
に反するのだが、とはいえこだわりで飯が食えるとも限らず、
実際にそういった手法で営業しているお店もあるでしょう。
でもそれを間違ってるだなんていえますか?
商売って、そういうものなのです。

やはり老舗だと、技術的には確かな反面、新しい手法を
取り入れて省力化するというのはあまりなされていないかも
しれないし。
もちろん伝統技能を継承するということは意味のあることだと
思うし、そうやって昔ながらの手法を守る店というのがなければ
ならないとも思う。
だけど数年内にうどん店を開業したいと思う自分が、そこに
飛び込むのが正解なのかといえば・・・
生業として成立させようと思うと、それとは違ったやり方で
目指すほうが、正解なのではないかという気がする。

省力化できる部分は省力化し、工程は極力単純化のうえ、
自分自身納得のいく味が出せること、今目指すべきなのは
そういったこと。
その上でそれがお客さんにとっても納得の行く味や値段・量
で提供して商売として成り立たせ、さらにそれを持続可能な
状態で維持していく、そのための技術なり仕組みづくりなり
仕入れルートなり店舗準備なりをする、それがしなければ
ならない仕事。
回り道せずに思いをかなえるには、そうするしかない。
目先のものに飛びつくんじゃなくて、そういった終着点を
意識しながら動かなければいけないなと、改めて思った。
一見無駄なようでも、これも今日面接に行ったからこそ
より確固に思えたわけで、そういう意味では無駄ではない
のかなと思う。

夢だけでは飯は食えません。
楽して儲けることを考えましょう・・・
経済活動の大本は、たぶんそういうことかと。